2019年09月12日

夕暮れ

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今回の与那国島滞在中に見た、最も美しい夕焼け。薄明光線が認められる。この後は満天の星空になって、天の川が島の北から南へと下り、それを流れ星が横切った。

posted by 藤崎慎吾 at 23:59| Comment(3) | 日記

カミミチとカンダーリ

「神道」は普通「シントウ」だが、「カミミチ」と読めば、まさに「神様が通る道」という意味になる。僕はそれを加計呂麻島で見たことがあったのだが、実は与那国島にもあるということを、今回、初めて知った。人が1人通るのがやっと、というくらいの細い道だ。障りがあってはいけないので、決して塞がれることはないという。

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上の写真の真ん中に通っているのがカミミチだ。この先には与那国島の聖地の一つで「ティンダバナ」という、石灰岩の断崖がある。写真の右手に見える祠は御嶽だ。昔、ティンダバナの上にあった島仲集落の人々が、水不足にみまわれて、このあたりに移住してきた際、つくられたものだという。

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ティンダバナからは、祖納という最も大きな集落を一望できる。

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カミミチを反対側から見たのが上の写真で、突き当りには民家の門と玄関が写っている。カミミチの延長線から微妙にずれているのは、わざとそのように建てたからだ。ドンピシャだと「畏れ多い」ということらしい。カミミチのことを教えてくれたのは、この家の住人であるTさんだ。

Tさんは与那国生まれの与那国育ちで、男性なのだが「カンダーリ」にかかったことがある。これは一種の巫病(ふびょう)で、沖縄のユタや東北のイタコといった呪術者(シャーマン)が、通過儀礼的に経験する特殊な精神・身体状態のことだ。多くは非常な苦痛を伴う。

Tさんも2年間カンダーリに苦しんだ。すでに結婚して家庭を持っていたというから、おそらく30歳代だ。毎晩、わけのわからない影のようなものに襲われ、甲冑姿の武者に首を絞められたこともある。車を運転していると、気づかないうちに海へ突っこもうとしていることがあるため、老人介護施設での送迎の仕事は辞めた。他の事務的な仕事に就いても、いざ処理をしようとしたとたん、書類の文字が消えたりする。あきらめると現れる。

カンダーリの間、Tさんは赤黒い模様が全身に浮かび上がって、白い膿(?)が噴水のように噴きだすことがあった。『もののけ姫』のアシタカに、そっくりだったという。強い痒みもある。それは必ず右肘の内側から始まった。数日に1度の頻度でそういうことが続き、仕事ができないストレスもあって、自殺も考えたという。

職場の上司はもちろん、母親でさえTさんの苦しみを理解してはくれなかった。もちろん医者は普通の軟膏を渡すだけ。しかし人の死を予言すると当たるようなことが何度か続き、ようやく母親は半信半疑くらいになってくれた。そして、もう少し理解のあった伯母に薦められ、与那国中の御嶽を巡っているうちに、カンダーリは治まったという。その後は予言能力を失った。

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なんとも、すさまじい話だ。与那国に限らず、沖縄方面へ行くと、僕はたいてい、こういう人に出会ってしまう。サイエンスライターをしていようがいまいが、神様はおかまいなしだ。

posted by 藤崎慎吾 at 00:47| Comment(2) | 日記

2019年09月10日

与那国島へ行ってきました

9年ぶりに日本の最西端、与那国島を訪れた。『ハイドゥナン』を書いた前後は、けっこう毎年のように通っていたが、このところはパッタリ足を運ばなくなっていた。今回、ちょっと縁があって、久しぶりに2週間近くも滞在した。まずは南国らしい景色を、どうぞ。

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9年前までは上の赤瓦の宿に、よく滞在した。お世話になった主のオバアは、すでに他界していた。享年82歳だったそうだ。今は娘さんがあとを継いでいる。

オバアは沖縄本島で言うと「ユタ」に当たる人で、普通は人目に触れることのない、様々な儀式のことなどを聞かせてくれたし、実際にいくつかの神事には僕を助手代わりにして参加させてくれた。おかげで与那国島の奥深い文化や歴史を、垣間見ることができた。最初はとっつきにくかったけど、いったん気を許すと、僕をまるで甥っ子のように扱う人だった。

今年は3回忌で、フチギライ(洗骨)をやることになっているという。つまりお墓を開いて遺骨を洗い、改葬するのだ。沖縄では広く行われていたが、最近ではなくなりかけている風習だ。与那国島には火葬場がないため、まだ残っている。とはいえ若い人はいやがって、石垣島までご遺体を運び、火葬にすることが増えているらしい。でもオバアは「私は焼かれるのは嫌だからね」と拒んだのだという。いかにもオバアらしい。

遅ればせながら仏壇に線香をあげさせてもらった。娘さんと思い出話をしているうちに、黒い板状の線香は半分ほどが白くなって、なおも立っていた。「あんなに真っ直ぐ、きれいに燃えているよ。喜んでいるしるしだね」と娘さんに言われて、悲しいやら、うれしいやら、涙ぐむほかなかった。

posted by 藤崎慎吾 at 18:12| Comment(0) | 日記