2019年05月08日

水のオブジェ

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写真とは関係ないが、とあるドキュメンタリー番組を見ていたら、10歳くらいの男の子とロボットが、次のような会話をしていた(記憶なので一字一句この通りではない)。

ロボット:人間は、これまで延々と生き続けてきた。
男の子 :人間は、ずっとは生きられない。せいぜい100歳くらいまでだよ。
ロボット:私は永遠に生き続けられる。誰かがスイッチを切らなければ。
男の子 :そうだね。
ロボット:人間も永遠に生きられたほうが、いいと思う?
男の子 :思わない。
ロボット:どうして?
男の子 :人間は生きることから自由になりたい、と思うこともあるから。

なんという会話だ。台本があったのだろうか。男の子の様子からは、そうは思えなかった。演技しているようには、全く見えない。もし演技なら、かなりの役者だ。

全部がアドリブだったら、男の子の最後のセリフは、どこかで読んだか、聞いたかしたことの(無意識的な)受け売りだろうか。そうではなく、ほんとうにこの10歳の子供が思いついた答えなのだとしたら、天才だろうか。それとも10歳の子供は、みんな天才なのか。

「生きることから自由になりたい」

そう思わない日なんて、あるだろうか。

posted by 藤崎慎吾 at 16:31| Comment(4) | 日記
この記事へのコメント
「自由に生きたい」ではなくて「生きることから自由になりたい」というのはずいぶん哲学的?な言葉ですね。
10歳にして老成してます。
ロボットの言葉もかなりなレベル。
でもエネルギーやらメンテナンスやらしないとロボットでも… 他のロボットがしてくれるのを前提?
シンギュラリティは近い?
Posted by take at 2019年05月13日 06:24
子供って、まれに信じられないくらい大人びたことを言いますよね。おそらくは何かの受け売りではないかと思うんですが、そればかりではないかもしれない。不思議です。「死にたい」ではなく「生きることから自由になりたい」だと、ある意味ポジティブなニュアンスがあって面白い。

ロボットも長い年月には錆びついていくでしょうが、コピーが簡単ですし、むしろ若返り(アップグレード)していくかもしれません。まあ、それもメンテナンスのうちでしょうが。
Posted by 藤崎慎吾 at 2019年05月13日 11:05
人間はいつかは死を迎える。
なんだか重い一言で、年を取るとジタバタしたくなったり、達観してみたりと、色々考えることが多くなります。
そんな中で「生きることから自由になる」という発想は、とても肩の力が抜けて素敵な一言です。
これから老いに向かっていく自分にしても、積極的に使っていきたい一言です!!
Posted by Mくん at 2019年05月15日 13:39
「死」にはネガティブなイメージが強すぎると思います。人を死に追いやるのは、もちろん罪だけど、自死ですら一種の罪悪とみなされるのに、僕は昔から違和感を覚えてきました。でも「死にたいんです」じゃなくて「生きることから自由になりたいんです」と言われたら、きっと誰も止められませんよね? 同じことなんだけど。

生きることは義務じゃない。義務だと思うから、つらくなる。人生が芝居の舞台なら、いつでもお辞儀をして降りられると考えていたい。なかなか許してはもらえませんが。
Posted by 藤崎慎吾 at 2019年05月15日 19:11
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