2018年10月29日

秋空

このところ、やっと秋らしい青空を見上げられるようになった気がする。草原に寝転んだつもりで、シャッターを切った。

DSC_0387.jpg

いつもは、そっけないアオスジアゲハが、わりと近くに寄ってきた。

DSC_0409.jpg

柿も秋空に浮かべると、ひときわ美味しそう。

DSC_0415.jpg

posted by 藤崎慎吾 at 18:19| Comment(3) | 日記

2018年09月29日

一瞬の秋晴れ

ぱっとしない天気の日が続いている。明日からは台風も来る。しかし昨日は、泣きべその女の子が、ふと微笑んだような秋晴れだった。ここぞとばかり、色々なチョウやトンボ、ハチなどが賑やかに飛び交っていた。

DSC_9874.jpg

DSC_9892.jpg

そういうチョウやトンボを狙ってるやつも必死だった。ギロリという視線を感じる。

DSC_9903.jpg

なんだてめえ。

DSC_9910.jpg

うぜえな、あっち行け。

DSC_9917.jpg

posted by 藤崎慎吾 at 22:36| Comment(0) | 日記

2018年09月25日

千条の滝

岡田美術館から歩いて10分ほどのところに「千条の滝」がある。派手さはないが、なんというか天然の日本庭園とでもいうような風情があった。見て損はないと思う。

DSC_9793.jpg

DSC_9803.jpg

DSC_9817.jpg

DSC_9828.jpg

posted by 藤崎慎吾 at 12:00| Comment(0) | 日記

田中一村弁当

「アダンの海辺」を見にいった岡田美術館には庭園があって、そこに「開化亭」という古民家カフェがある。なかなか居心地のよい建物だった。そこで、まあ、お約束なのだが特別展メニューの「田中一村弁当」を食べた。

DSC_9773.jpg

DSC_9771.jpg

DSC_9758.jpg

DSC_9762.jpg

どこが田中一村なのか、いまいち謎なのだが、おいしかったと言っていいだろう。鯛飯で有名な割烹がつくっているらしく、半分はその鯛飯である。堪能した。

弁当とは関係ないが、下の写真は美術館の玄関に飾ってあった生け花(?)である。なるほど、という感じ。

DSC_9774.jpg

posted by 藤崎慎吾 at 00:00| Comment(0) | 日記

2018年09月24日

アダンの海辺

日本画家・田中一村の代表作とも言われる「アダンの海辺」が、箱根の岡田美術館で公開されている。残念ながら今日までである。駆けこみで昨日、見にいってきた。この絵は『ハイドゥナン』の単行本上巻カバーに使わせていただいたことがある。しかし本物を見たのは、今回が初めてだった。

ハイドゥナン.jpg

基本的には個人蔵の絵で、奄美大島にある田中一村記念美術館にも複製画しか展示されていない。2012年に千葉市美術館に寄託されたらしいのだが、つい最近までそれを知らなかった。今年の生誕110周年を記念して、この絵はまず滋賀県の佐川美術館で展示され、その後、岡田美術館にまわってきた。この後はどうなるのか知らないが、たぶん千葉市に戻るのだろう。

複製画や写真で見るのと、本物を見るのとでは、やっぱりちがう。

田中一村は、この絵を「閻魔大王への土産」と言って、当初は手放すつもりがなかったらしい。だが結局、知人に売ることになった時、絵の添状として次のように書いている。

「この絵の主要目的は乱立する夕雲と海浜の白黒の砂礫であってこれは成功したと信じて居ます 何故無落款で置いたのか それは絵に全精力を費やし果たして わづか五秒とはかからぬサインをする気力さえなく やがて気力の充実した時にと思いながら 今日になってしまった次第なのです」

何も知らなければ、この絵の主役はアダンの木あるいは実だと普通は思うだろう。だが画家本人に言わせると、主題は夕雲と砂礫なのである。複製画や写真しか見ていなかった時は、ちょっと不思議だった。だが本物を見て、ようやく納得した。

黒雲の向こうにある金色の雲は、実際、金箔を貼ってあるかのように、まばゆく輝くのだ。そういう絵の具を使っている。照明の当てかたにもよるだろうが、正面からではなく少し斜め(左右どちらでもよい)から見るとわかりやすい。角度によって、その輝き具合も変わっていく。

水平線に沈んだ太陽の光は、まるで後光のように神々しく空全体を覆っている。その一部を黒雲が隠している。そのことが何を象徴しているかは、色々と考えられるだろう。だが、いずれにしても黒雲の向こうには、おそらく「浄土」と呼んでよい世界がある。あるいは奄美や沖縄地方で信じられている「ニライカナイ」かもしれない。

海を隔てた現世の、ごつごつした砂礫の上に立って浄土からの光を仰ぎ、腕を広げて空を抱きしめるかのように葉を揺らしているアダンの木は、たぶん画家自身の姿なのだろう。そして絵を見る我々も、その木に自分を重ねることで、絵の中に入ることができる。金色の雲は遥か遠く、手の届かないところにある一方、海浜の砂礫は、実際に握って掴みだせそうなほどリアルだ。この差が、底知れない吸引力を生みだしている。

まあ、そんなことを勝手に考えながら、30分ほど絵と向き合いながら過ごした。幸福な時間だった。

posted by 藤崎慎吾 at 17:36| Comment(2) | 日記